パイプ役になるとはどういうことでしょうか?
これは、ずばりヒーラーの役割のことです。
パイプには、両端があります。
ヒーラーの両端は何かというと、エネルギー源とヒーリーです。
簡単な図式で書くと、こんな感じ。
エネルギー源→ヒーラー→ヒーリー
これを水道に例えてみましょう。
水源→水道管→飲む人
何も足さない。何も引かない
水道管、つまりパイプの役割は何かというと、「何も足さない。何も引かない」です。
昭和のウィスキーのコマーシャルにありました。
さて、ヒーラーとして場数をこなしてくると、こんな風に発言する人も出てきます。
「私のパワーも、なかなかだな」
こういうヒーラーの発言を聴くと、突っ込みたくなります。
「え?パイプ役じゃないんですか?!」
何かを足しているのがわかります。
何かというと、“エゴ”です。
もし、水道管に人格があって、言葉を話すとしたら、「私の水も、なかなかだな」と言ってるようなものです。
「え?水源の水だけじゃないんですか?!」、って聴きたくなりますよね。
そして、水道管が何かを混入させていたら、気味悪いですよね。
ヒーリングも同じ原理ですが、エゴを混入させてしまうヒーラーは、無意識のうちにそうしてしまう点において、気を付けなければなりません。
ヒーラーなのに、早死する?
こういうヒーリングをやり続けると、どうなるのでしょうか?
やがて、ヒーラーは、自分が源そのものだと認識するようになります。
そうなると、次にどうなるかというと、ヒーラーは、具合が悪くなります。
純粋なパイプ役に徹していれば、他者へのヒーリングは、セルフヒーリングを兼ねます。
しかし、自分が源になったら、今度は、ヒーラーの命を削るようにして、ヒーリーにエネルギーが流れていきます。
さらに、これを続けるとどうなると思いますか?
実は、早死します。
少し怖い話になりましたか?
あくまで、パイプ役にはならずに、ヒーリングセッションをやり続けた場合の話です。
ですので、エゴを手放すことに、常に気を付けることです。
このとき、エゴを無くす、ということはできません。
あくまで、気付いて、手放すことの繰り返しです。
自分への関心
ところで、なぜ一部のヒーラーは、「私のパワーも、なかなかだな」というモードになってしまうんでしょうか?
この答えは、自分への関心が強い状態にある、ということです。
言い換えると、そのヒーラーは、自分への承認欲求を満たすために、ヒーリングをしている、ということになります。
そうならないためにヒーラーは、「自分自身の役割を果たすために、パイプ役に徹するんだ」という自覚が常に要されることとなります。
さて、承認欲求が高い人は、自意識過剰モードとなります。
自意識過剰には、2つの方向があります。
優越意識と劣等意識です。
前者は、「私がどうにかしてやろう」的な感じであり、後者は、「失敗したらどうしよう」的な感じです。
後者のあり方は、「私なんか、まだまだです。他に良い先生がいると思いますよ」などと、外から見たときに、謙虚に見えることもあります。しかし、このあり方の本心は、自信の低さから来ていて、他人の評価を恐れるときに出るあり方です。
どちらにしても、この2つの方向に立脚するとき、ヒーラーはパイプ役にはなりえません。
どういうあり方がベストなのかというと、それはニュートラルな意識。
それは、自分への関心がない状態です。
ヒーラーであれば、ヒーリーへの100%の関心がある状態です。
この状態にあると、ヒーリングセッションの現場で、ハッと気づくと、セッションが終わってた、みたいなことがたびたび起こるようになります。
今回のテーマは、エゴをなかなか手放せないなぁという方に、参考になったのではないでしょうか。