あなたは真実を見てはいない
普段から、私はこの話題が好きです。
人に話を振ると、少し挑戦的に聴く人も少なくなかったりします。
そして、たびたび次のような反論をいただきます。
「目の前で見えていること、起きていることは、紛れもなく真実でしょ?」
今回は、このことを解説していきます。
あなたのお部屋に、赤いものはいくつありますか?
数えたら、答えの数を心のなかで繰り返しながら、すぐに目をつむってください。
・
・
・
・
・
・
・
では、白いものはいくつありましたか?(部屋を見渡さないで答えてください)
どうでしょう、答えるためのデータが脳に無いのではありませんか?
そう。私たちの脳は、見たいものしか見ていません。
では、次のようなこともよく経験としてありませんか?
街に、急にBMWが溢れ出す!!!
これは、BMWを買おうかなぁ、と心にイメージした人が見る街の風景です。
なので、その人は友人に言いますね。
「最近、BMWって流行ってんの???」
実際、台数が増えているわけではありませんね。
その人が意識的に見え始めただけです。
これらの現象は、何を表しているかというと、「フィルター越しに見る外界」ということになります。
これは聴いた話ですが、ある脳科学者によれば、五感にランダムに飛び込んでくる情報の総量は、1秒間になんと200万バイトもの量なんだそうです。
しかし、我々が意識的に意味ある情報としてキャッチ可能な情報は、わずは126バイトに過ぎないそうです。
このわずかな情報が、いわゆる主観情報であり、一人の人間の脳というフィルターの限界であるといえるわけです。
そして、その情報は、主観であるがゆえに、真実を見てるのではなく、自分の解釈をまるで真実かのように受信して処理しているということになります。
言葉を強めて言えば、外界にある情報を、捏造された解釈データに置き換えていることになります。
プロとアマの決定的な違いとは?
あなたは、麻雀はできますか?
私は、大学2年くらいの頃、だいぶ腕を磨きました(笑)
例えば、麻雀の世界にもプロがいます。
配牌された瞬間から、上がりに向けて、プロの役作りは、アマのそれとは、異次元なほど異なります。
そう、同じ配牌であっても、それを扱う人が誰であるかによって、ゲーム進行の最終形はまったく異なるところに行き着くわけです。
それはなぜかといえば、同じ配牌について、それをどう見て、そして脳というフィルターがどう処理するか、それぞれの解釈が別だからです。
老婆と美女の両方が見えますか?
出典:https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3836554
この絵も、人によって、老婆しか見えない人もいるし、美女しか見えない人もいるのです。
以上のことから、何を言いたいかというと、あなたが今、何かに苦しんでいるとしたら、それは本当には真実ではなくて、あなたの主観、つまり捏造された解釈に過ぎないかもしれないですよ、という提案です。
ときにこの提案は、あなたの人生の問題に直面を引き起こします。
なぜなら、この提案がベースにあれば、私はあなたに対し、「あなたの解釈こそが、あなたの悩み・痛み・解決できない苦しみ、一切の原因です」と指摘する根拠を持つことになるからです。
しかし、その直面を超えた先に、他者への理解とともに、自己解放が待っているかもしれないのです。